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東京三鷹市で造園業を営んでおります松金と申します。これまでの仕事でたくさんの庭、樹木、お施主さんとご縁を頂き、若輩ながら感じたことを記したいと思います。


●庭の役目

一言に庭と言っても様々です。何十年もの年月を経た庭には、生活に直接かかわる要素が多いようです。梅は保存食の梅干、竹は美味しい竹の子だけでなく、竹細工や建築材・農業用資材として、柑橘や琵琶、柿、栗なども食用です。 縁起ものとして難を転ずる南天、熊手に似た形で商売に縁起の良いヤツデ、黄色い実が付くものや、たわわに実が付くものなどは商売に縁起がいいとされています。また、薬として植えられたものもあり、合理的で無駄がない上に、景観としてもちゃんと整っています。そういった庭の手入れをしていると、昔の人の考えは、とても深いものだと感じます。

●庭と心

それとは別に、精神や心のためにも庭はあります。大きな松や仕立物の樹木の下で、季節ごと次々と咲く花々。夏の涼風を感じる枝垂れモミジや落葉樹の紅葉。完成されたその姿は壮観であり年月と共に生命力と安心感を生みます。庭は、心を癒すだけではなく様々な力を与えてくれたりもします。人として同じ生き物であり対等である彼らに、時には悩みを聞いてもらったり、応えを求めたりする事もある様です。

●庭と主の関係

庭の手入れをしていて、主と庭木とは、そこに何かしら通じているものがあると感じる事があります。庭木は風や雨や音や陽(もしくは火)から建物と人とその土地を守ります。代わりに庭木にとっては、自分と自分の種を守ってもらうという約束を得ます。そうした関係から、その庭の主木(メインの木)や古木(昔からある木)は主に対してある影響を持っている様です。主人の体調が良い時は主木も元気ですがその反対の場合があったり、特に実が付く果樹等は主人の性格の影響を受けるようです。不思議なことですが実付きにも影響が出ている事があります。

ひとは素直に褒められると嬉しいものです。植物も褒められると嬉しいようです。「毎年綺麗に咲いてくれてありがとう。沢山実を付けてくれてありがとう。大事に使わせてもらうよ、いつもここを守ってくれてありがとう」と声を掛けてあげてください。庭木たちは、きっと喜んでいます。

●伐採や伐根について

人間と言うものは多かれ少なかれ避けられない事情があったりします。庭木もまた避けられない事情を受ける場合があります。その時は「長い間ここを守ってくれてありがとう」と感謝してください。
どんな小さな木でも、お清めの塩とお酒をかけて手を合わせてください。伐採は命を絶つことなので、同じ命を持つものに対しての礼儀として、お願いしたいと思います。
古木や主木を伐採する場合、時には「お払い」もした方が良いようです。近所の神社の神主さんに来て頂いておこなってください。雑に扱ってしまうとそのまま返って来る事があります。きちんと礼を持って感謝して縁を切る事が大切だと考えます。
「切る」という言葉は忌み言葉です。伐採以外では「切る」と言いません。普段なら枝を飛ばす、つまむ、はさむ、取る、抜く、落とす等と言葉を変えます。そうした言葉の使い方に、日本人が樹木と、どう付き合ってきたかが伺えると思うのです。

以前、と言っても、植木屋になってまだまだ未熟な時の事です。
とあるお施主さんから、実生のビワを頂きました。10センチぐらいの小さな苗木です、「実をつけるのはずっと先だな」なんて言われました。当時は「大きくなってビワの実が食べられればいいな」とその程度の考えです。ところが小さなビワはすくすく育ち5-6年ぐらいで実をつけ始めその後毎年実をつけてくれました。生で食べたり、ビワ酒にしたりと、果肉は少なかったのですが数が沢山出来たので楽しみました。西日除けにもなり役に立った木であると今も感謝しています。薬にもなる木であると知ったのはこの頃でした。
年月が過ぎ、人の都合というものが起こります。人に沿う生き物にとって吉にも凶にもなる事です。大きくなったビワの木の命を絶つことになりました。つらいことです、木を植えるということは木に対して契約をする事です。守る代わりに与えてもらうという契約です。こちらに与えてくれたことは感謝しかありません。ですが仕方がない。ただその時、できることとしてその命の代わりに、今後は子を守るからと約束をしました。それが精いっぱいなのです。
そしてこの手で長く縁のあるビワを清め伐採しました、その瞬間は今も悲しいと思い出します。その時親の後継となった子は一年生の実生です、親と同じく頂いてきた苗と同じ大きさでした。
そんな子も今は大きくなり今4年生です。
未だ実は付けませんが来年か再来年には実がつくかなと、せっせと世話をしています。植木鉢ですが非常に良好で頼もしい限りです。 実がついたら親を思い出し酒でも飲みたいです。子が親になったよって。

長々と書き連ねましたが、ここまで読んで頂いてありがとうございます。いつか今よりももっと声の無い声を聞ける職人になりたいと考えています。

松金 忍